無欲のチャンピオン…

THE SELFLESS CHAMPION | A KENGO SUZUKI STORY

Text by Mika Tokairin
Photos by Kaoru Fukui

長く低迷していた日本の男子マラソンは2018年に出た16年ぶりの日本記録を契機に新時代を迎えている。設楽悠太、大迫傑らが競うように日本記録を更新した後の2021年、びわ湖マラソンで日本記録を更新したのが当時25歳の鈴木健吾である。非アフリカ系ランナーで世界初となる2時間4分台を、大迫、設楽のさらに下の世代になる鈴木が出した意味は大きい。日本の男子マラソン界にとって、世界トップの背中が視界に入った瞬間だ。

検見川神社にて。大事なレース前にはここを必ず訪れる。撮影後は、神社に向かって静かに一礼した。

我々が取材に訪れたのは東京マラソンの10日ほど前。この日のトレーニングメニューは軽めの16kmジョグだという。いつもの練習コースだという川沿いの遊歩道を、極限にまで絞り込まれた肢体が小気味良いリズムを刻み、走り去っていく。

所属チームである富士通陸上競技部の三代直樹コーチによると、鈴木は「放っておくと走り過ぎてしまう選手」だという。「周囲が止めないといくらでも走ってしまう。最近ではあまりいないタイプの選手です」。そのことを本人にたずねてみると「それは多分シンプルに走るのが好きだから、ですかね」と笑う。

「海外のいろんなレースにも挑戦していきたい。いろんな環境でいろんなことを経験して視野を広めたいと思っています」

鈴木が陸上を始めたのは11歳の時。陸上経験のある父親のすすめで地域のクラブに入った。中学、高校と進むにつれて、少しずつ頭角を表していく。当時はまだ「スター」と言えるポジションではなかったが、彼の持つポテンシャルには早くから注目が集まっていた。

「目先のレースに全力で取り組んでいるうちにだんだんとステージが上がっていった感じです。駅伝をやるために大学に進んだ時も、大学でやり切ろうと思っていましたから」

大学卒業後は故郷に帰るのかなと将来をぼんやりと描いていたが、箱根駅伝での活躍によって未来は一変する。箱根駅伝は、大学生ランナーの夢舞台。ここで活躍することで、一躍国民的ヒーローになる。鈴木は大学3年生の時にその栄光を味わった。エース区間と呼ばれ、各校最強のランナーが集う23.2kmのタフな区間。当時まだ無名だった鈴木はここで強豪大学の有名選手たちを振り切り、区間賞を獲得する走りを見せたのだ。

「レースでの給水や距離走の時にドリンクミックス320を使います。それと、ハードな練習で体重が落ちてきた時や内臓が疲労して食べるのがしんどい時にこれでエネルギーを補うこともあります。距離走の時にこれを摂ると終わった後の感覚が全然違う。空腹感があまりないです」

「陸上を続けるならマラソンで勝負したい」と大学時代から考えていた鈴木。卒業後はオリンピック選手を何名も輩出している名門実業団チーム、富士通に加入。マラソンを主戦場とする競技者となった。

2019年9月に行われたMGC=Marathon Grand Championshipでの走りが印象深い。東京オリンピックの代表選考会であるこのレースの出場権をぎりぎりのタイミングで獲得した鈴木は、自身3度目のマラソンとしてこのレースを走った。「正直、MGCを走れるとは思っていなかったんですけど、走るからには精一杯やろうという気持ちでした。他の選手たちとの力の差もすごく感じていたので」

謙虚な言葉で当時の心境を語る鈴木だが、その走りは謙虚さとは対局にあるものだった。20km手前で自ら動いて集団を4人に絞り、37km地点でスパートをかけ一時はトップを走ってレースを大きく動かした。最後は失速し7位に終わったが、このレースを仕掛け、動かしたのは間違いなく鈴木だった。

「勝つためのレースだったかと言われると違ったのかなって思います。確かにレースを動かしたんですけど、本当に東京オリンピックに行きたいんだったら、他の3人みたいに最後の最後まで力をためてから行くべきでした。あの時はもっと、見せ場を作って爪痕残そう、みたいな、そのぐらいの気持ちでした。本気で勝ちに行く意志はなかったかもしれない」と振り返る。

だがその果敢な冒険は確実に収穫をもたらした。このMGCではチームメイトの中村匠吾が優勝し、東京五輪日本代表の座をものにする。鈴木は、中村の勝ち方をここで深く胸に刻んだ。

「走るのは一人ですけど、自分一人ではここまでこれなかった。いろんな出会いがあっての今だと感じています」

1年半後、鈴木はびわ湖マラソンのスタートラインに立っていた。序盤は集団の中で息を潜めるようにして冷静にレースを進める。他の選手の早すぎる仕掛けにものらず、35km過ぎまで自分を抑えながら勝負の一瞬を狙った。36km地点の給水を取り損ねたことを逆手にとり、封印していた力を解き放って他を置き去りにした。自己記録を5分以上更新する日本新記録。ラスト5kmのスプリットは14分23秒だ。ゴール直後の、まるで朝ジョグを終えたかのようなフレッシュな表情に、彼の底知れないポテンシャルを感じた人間は少なくない。

「福嶋監督と勝負するなら1発で、という作戦を立てていました」と鈴木。「MGCで中村さんが1発で勝負を決めにいったレースを見てそう決めてました」

日本一になったその後も、鈴木はマラソンの完成形を模索しつづけている。「マラソンは年に何回も走れないので、1回1回のマラソンの経験値はすごく大事だと思っています。毎回同じ準備ってなかなかできないので、常に試行錯誤です。うまくいかないこともたくさんあるし、同じ失敗も何回もしてます。でもその中で少しずつ形になってきているのを感じています」

昨年末、東京五輪マラソン代表で日本女子最速選手でもある一山麻緒との結婚を発表。「一緒にパリを目指す戦友みたいな感じ。彼女の活躍に刺激をもらっています」

目下の目標は世界選手権とオリンピックで日本代表の座を獲得することだ。この週末に出場する東京マラソンは、その第一歩となる重要な一戦。日本記録保持者として期待と注目が集まる状況に少し困惑しつつも、静かに闘志を燃やす。

口数少ない彼の、こんな言葉が胸に残っている。

「自分が夢中になれるもの、輝けるものは走ることしかないから」

鈴木健吾は、走ること1本で己の道を切り拓いていく。